2011年1月16日日曜日

three dotsの「Tシャツ:Bradモデル他」 

Tシャツ:Bradモデル他

Tシャツってホントに難しい。そんなことないと言う30過ぎの男性は、あるひとつの場合を除いて確実に嘘つきだ。女性の皆さんはこんなオトコに近づいちゃイケマセン。あるひとつの場合は後で説明する事にして、ここでひとつの証明をしたい。それは“あなたは白いTシャツにデニムパンツで、女性と出かけられますか”ということ。ね、不安になるでしょ?この証明は、Tシャツが如何に難しいアイテムかという事を表している。寒い暑いは別にして、不安じゃないとかそれでも格好いい(ホントにかっこいいか思い込みかは問わない)とかいう人に、たぶんファッションは必要ない。ではなぜTシャツが難しいのか。それはやっぱり、ごまかしがきかないからだろう。この格好になった瞬間、体型や顔の大きさ、ひいては荒れた生活までなぜかバレる。でもここで嫌な情報がひとつ。白いTシャツにデニムパンツが平気なオトコってガッツリモテるということだ。隠し事は墓場まで持っていきたいが、それでもモテたいというわがままな僕らに打つ手はないのだろうか。

そこで前述の、「あるひとつの場合」が登場する。それは、「threedots」を着ている場合だ。ここのTシャツをジャストサイズで着ているなら、間違いなくいつものTシャツ姿よりもリュクス感が出て、なおかつスタイルがよく見える。例えるならヤコブコーエンのデニムのようなアイテム、それがthreedotsのTシャツなのだ。では、なぜそんな奇跡が起こるのか。threedotsがプレミアム カットソーとしての認知を築いたきっかけにその答えがある。レディスのTシャツ、Jessica(ジェシカ)というモデルだ。 オフィシャルサイトでも“その絶妙なカッティングのUネックラインは女性のデコルテの美しさを際立たせます。”と紹介されているこのプロダクトは、装いにうるさいハリウッドセレブから絶大な支持を得た。女性のカラダは、男性のそれと比べて三次元的に非常に複雑だ。男性の場合、身長と体重とウェストからある程度サイズが推測できる(あくまでもカジュアルウェアのサイズの話だが)が、女性の場合それに個人差の非常に大きなバストサイズが加わるので、パターンを起こすのは至難。そのレディスの分野で鍛えられた技術が、メンズのコレクションでも遺憾なく発揮されているのである。袖渡り、襟ぐり、身幅、そして着丈。この4点が素晴らしいレベルでバランスされていること。それがthreedotsがもつスタイルアップ力の秘密だ。

しかも、上品で上質なオーラが漂う。その理由はなんと言っても素材と色バリだろう。袖を通した瞬間に「ああ、これいい服なんだな」としっかり確認できる素材感。ZANONEのさらっとしたアイスコットンの風合いとはまた別の、しっかりと肌を包み込む優しさがあるし、色バリに関してもシックでひねりの利いた色数が揃う。さすがは世界中のファッションピープルやハリウッドセレブが支持する逸品だと納得できる。実はファッション誌に使用されるセレブ写真のほとんどは、アフロやゲッティなどが提供するレンタルポジなのだが、こういった会社のサイトが扱う写真の中にもこのブランドの商品が多く確認できる。ここで最後の一押し。それは、こういったサイトで確認できるセレブたちの多くが“オフ”だということ。いろんな大人の都合から“オン”な露出の際には制限の多いセレブたちが、普段着として本当に着たくて選ぶ服、それがthreedotsなのだ。

2011年1月7日金曜日

カナダグース EXPEDITION PARKA


エクスペディション・パーカー

大人の服って、正直色々ハードルが高い。解ってる感があり、品がよくってなおかつ少し遊びゴコロもみせないと、小僧と一線を画す“装い”にはならない。そういう意味で大人の服って、俗にいう“良いもの”でなくてはならないのだ。でも実はここに陥りやすいトラップが有る。それは、“良いもの”=本物とは必ずしも言えないということ。例えば、3、4年前から流行っているM65フィールドジャケット。ミリタリー系カジュアル大人服の代表選手だから、アンテナがそれほど高くない人のワードローブにも収まっているこのジャケット、もともとはガチの軍服だ。でも、アメリカ軍払い下げの“キング・オブ・本物”を買い、身幅や袖幅をいじり倒して、気づけば3800円のジャケットのお直し代が20000円超え。しかもそこまでやってもノーブル感はゼロ。これには本気で凹んだが、考えてみれば当たり前。機能性とコスト重視で作られた軍服に、ワイルド感以外を望んだのが間違いなのだ。戦場でお洒落感を重視するなんてロバート・キャパ(1913〜1954  アメリカの写真家。従軍取材の際に、有名メゾンに別注した軍服を着用していたという逸話が有る)ぐらいのものだ。ノーブルなM65が欲しいならASPESIにいった方が断然話は早い。

しかし、しかしだ。極地用耐寒服として南極探検隊やエヴェレスト登山隊、カナダ・ナショナル山岳レスキューチームやアメリカ森林警備隊の公式採用備品になっているという本物中の本物なのに、日本のアパレル代理店からのオファーにもバッチリ応え、ファッション偏差値の高い別注モデルを数多く発信しているという奇跡のブランドがある。それがこのカナダグースだ。キ○タクがカ○プヌードルのCMで着ていた赤いダウンもここの製品。(※着用はスノーマントラという極地用モデルで、両脇腹に繰り返し使用可能なカイロまでついている!)ただ、街着としての使用を考えるなら、今回紹介するEXPEDITION PARKA(エクスペディションパーカー)がイチオシだ。どちらかと言えばダウンはサイジングが難しいアウターだが、そこさえクリアして(ジャストサイズより少しタイトめを選ぶと今期っぽいだろう)しまえば、あとはインナーをボタンダウンシャツとスメドレーのセーター、もしくはタートルとインコテックスあたりにするだけで、今流行りの知的熟女キラー、山○さん的ダンディなジャーナリストコーデが完成する。しかもこのブランドならではの使い勝手重視のポケットや、極地装備の矜持を静かに主張するワッペンなどのディティールが、俗にいうユニフォーム効果(婦女子にはなぜか制服がブッ刺さるというアレ)まで演出してしまう。ノーブルで知的なインナーを、ハードで高機能なアウターで覆う。これって実はすごく本質的にハードボイルドなコーディネートなんじゃないだろうか。もちろん、それが可能なのはインナーの上質さとシンクロする、服作りの確かな技術があればこそだ。

ホッキョクグマ(ポーラベア)の研究保護支援のチャリティモデルを始め、ワッペンをシックなトーンに変更したモデルや、中にはダウンベストのアルバータのように完全に日本企画のモデルも存在するなど、バラエティに富んだラインナップも魅力的なカナダグースをワードローブに加えて、リアルコヨーテファーを寒風になびかせながらボソッと「南極ってね」とかのたまえば、単なるホラ話が「優しい嘘」に格上げされるかも?!

2011年1月5日水曜日

マスターピース「Harris Tweed SLASH」


マスターピース「Harris Tweed SLASH」

程よくカジュアルで程よくストリート、なのに程よくノーブルっていう、大人なマッチングのカジュアルバッグってなかなかない。ビジネスバッグには困っていない大人の中にも、カジュアルダウンしたときにイタイ事になってる人は結構いる。
でも、大人にとってはこの「程よく」って言うのが最も大切。山男過ぎたりスケーター過ぎたりはもちろん、ワイルド過ぎたりゴージャス過ぎたりすれば品性まで疑われかねない大人のカジュアルダウン。そんなときにぴったりくる商品が多いのがバッグメーカーのマスターピース(MSPC)だ。様々な素材をミクスチャーして生み出されるここのバッグは、極めて“程よいヌケ感”がある。じつはこれはかなり大事な事で、“程よいヌケ感”を上手に演出すれば婦女子の良く言う“リュクス感”の源にもなったりするのだ。

そんなマスターピースのバッグの中でも今回お薦めしたいのが、「Harris Tweed SLASH」。その名のとおりハリスツイードを使ったメッセンジャータイプの逸品だ。ハリスツイードとは1840年代にイギリスのアウターへブリデイーズ諸島で生まれたツイード素材。ブラックフェイスとよばれる羊の羊毛を天然染料のみで染色され、手織りで織られたもので、すべての商品に織り職人のサインが入る事でも知られている。

本来、ジャケットに用いるツイード素材をバッグに、しかもメッセンジャータイプに用いるという、このメーカーらしい着想から生まれたこのバッグには、“程よいヌケ感”に加えて、もうひとつ大きな武器が備わっている。「知性的」なルックスだ。3、4年前に流行ったダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」では、主人公のラングドン教授の外見を「ハリスツイードを着たハリソン・フォード」と表現している。ハリソン・フォードが男性的魅力の象徴であるなら、ハリスツイードはさしづめ、知性とノーブルさの象徴と言ったところか。(主人公はハーヴァード大学の象徴学部教授の設定だからだ)落ち着いた知性に加えて、色バリも素晴らしい。女子からは「カワイイ」と言われるけど、同性からは爽やかに見える配色のバリエーションが揃う。

この、本来のメッセンジャーより少し小振りのバッグなら、ロンTに薄テロパーカーにダウンベスト、ボトムスはチノに白スニ、みたいな王道カジュアルをもしっかり格上げてくれる。荷物の多い人にも満足なこのワンマイルバッグに、ラングドン教授と同僚って言う事になっているマイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」でも突っ込んで、カジュアルな週末哲学者を気取っちゃうというのも、「大人」な感じがしませんか?